『こうだから』ではなく『こうしたい』

「今こうだから」っていう現状追認じゃなくて、「こうしていきたい」っていう自分達の理想に基づいて現実を変えていこうとする姿勢を、私は多くのラッパーから学んだ。

ラップに出会うまでの私は、周りに「今こうだから」と言われると「そうなんだ」と何の疑問ももたずに素直に従っていた。そうやって生きる方が衝突も、誤解も無く、平穏に過ごせると無意識のうちに感じとっていたのだろう。

大人から言われた通りに過ごす。
友達と横並びで過ごす。

このスタンスで生きれば穏やかな海のような生活を送れる。それに逆らって突っかかっている同級生を見ると「もっと上手くやればいいのに」と思う事もあった。しかし、私の深い深い深部でも得体のしれない感情があり、時にそれは揺れとして表面化する事もあったが、向き合う事なく、それに目隠しをして生きる事を選択した。

大学に入り、ラップに出会って、視界が一気に広がった。今まで目隠しをして見てこなかったが、自分の中にも「こうしていきたい」があったのだ。自分の中にあるものを、臆することなく、感情をぶつけるサイファー。これには素直に憧れる。

自分達のイメージで街を捉えて遊びを生み出していくサイファーは、公園や駅前、ロータリー、高架下に集まる。ただ、サイファーの認知度はまだまだ低く、『ラップ=ガラが悪い』という印象を抱いている人がいるのも事実だ。駅前、ロータリーは他の通行人の迷惑にならないように、公園(特に夜間)は近隣住民に騒音迷惑にならないようにと配慮が必要になってくる。高架下はそもそも人が集まる場所ではなく(高架下に飲み屋などあれば話は別だが)電車が行き来する度に騒音もあるので、サイファーにはうってつけの場所ではないかと思う。このサイトを見ると、今後も高架は増えるだろう。そうなれば、サイファーも集まりやすくなるのではないだろうか。

イメージが創る、『サイファー』という新たなゲーム

私の地元九州と比べると、大阪はヒップホップグループが多い印象がある。『韻踏合連合』とか『コッペパン』とか。今テレビで知名度が急上昇中の即興ラッパー『R指定』は「梅田サイファー」に参加していた。

大阪はサイファー文化が根付いている土地なのかもしれない。サイファーの素晴らしいところは、場所の制約を受けないところだと思う。駅前以外では、高架下でやっていたり、普通なら誰も目にくれないような場所がフィールドになる。

さっき取り上げた「梅田サイファー」も、阪神梅田駅に向かう歩道橋の上でやっていたらしいし、大阪はごちゃごちゃしてるイメージがあるけど、そのまま放置するのは勿体ないくらいのスペースって、意外とあると思う。

やってる本人達はそんなこと考えないのだろうけど、街の「余白」を有効活用して「遊び場」にするサイファーって、結構奥が深いのかもしれない・・。こういう街の捉え方って、坂口恭平のホームレス論とかとも結びつけられる文化だね。彼は「こうあるべき」っていう「ISM」じゃなくてより綿密に対象を捉えていく「I zoom」って考えを述べていたけど。一見何の価値もない場所に価値を創造していく姿勢って、すごくクリエイティブだと思う。

街の細部を捉えて遊び場を作り、自分達のゲームを創造する手段としてのサイファー。いつから活発になったのか気になるけど、公園や空き地といった「与えられている遊び場」の減少と関係しているのかなぁ、と推測している。